
「みんな誰かと出くわすんだ!」
そう言ったのはスティーブ・ジョブズだ。
1986年にジョージ・ルーカスから買収して新たに設立したピクサー・アニメーション・スタジオをデザインしたときのことである。*1, *2
元々のオフィスでは、コンピューター・サイエンティストとアニメーター、その他のスタッフはそれぞれ別棟の建物に入居することになっていた。
それを見たジョブズは、エントランス付近に中庭風の明るい大広間・アトリウムを設け、トイレはその中の1か所だけにすると決めた。

出所)Inside Pixer | Official Trailer | Disney+ (予告編動画)0:05
https://www.youtube.com/watch?v=BmYhYPNbhtw&t=8s
社員はそれぞれのオフィスから出て、そこに集まってくる。
そして、言葉を交わす。
そうやって異分野どうしの人々が交流しやすい動線を設計し、「偶然の出会いが創造性を育む」というビジョンを反映させたのだ。
それはフリーアドレス・オフィスがクリエイティビティを高めるのと同じ原理である。
偶然の出会いをデザインし、雑談からイノベーションを産み出すようなオフィスとはどのようなものだろうか。
ネットワークという視点
フリーアドレス・オフィスは1970年代初頭にアメリカで行われたオフィス実験に端を発するとされる。*2
その実験では、ほとんどの従業員が以前に比べてオフィス内を動き回るようになっていた。そしてそのことで周囲の顔ぶれが変わり、ふだんは話をしないような人とも活発にコミュニケーションが行われていたという。
社会ネットワーク理論では、日頃会わないような人とのつながりは異なるコミュニティをつなげ、異質な情報に触れる機会をもたらすと考えられている。
「弱い紐帯(ちゅうたい)の強み」
「弱い紐帯の強み(The strength of weak ties)」
そんな印象的なタイトルの論文がある。*3
「紐帯」とは、紐のようなつながり。それに「弱い」がつくと、「たまにしか会わない人とのつながり」を意味する。
それがなぜ「強み」なのだろうか。
著者のマーク・グラノヴェター(Mark S. Granovetter)は、労働者は転職する際に、強い紐帯を持つ(いつも会う)人よりも弱い紐帯を持つ(たまにしか会わない)人から役に立つ就業情報を得るという傾向を見つけた。*4
この発見にもとづいて、いつも会っている人々には同じ既知の情報を共有するという社会構造的な傾向があるため、労働者はかえって、たまに会う人から多くの新しい情報を入手する可能性があるという仮説を立てた。
それは強い紐帯で結ばれる人々は同じ社会圏に属し類似した情報を持つのに対して、弱い紐帯で結ばれている人々は異なる社会圏に属し異なる情報を持つ傾向があるという推論にもとづいている。
下の図2のように、弱い紐帯はメンバーがみな知り合いであるような密度の高い集団の間を「橋渡し」する傾向があると想定したのだ。

出所)渡辺深「グラノヴェター『転職─ネットワークとキャリアの研究』」(『日本労働研究雑誌No.669』p.41
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/04/pdf/040-043.pdf
一方、「強い紐帯」には「橋渡し」はできない。
たとえば、X・Y・Zの3者の関係性では、XとY、およびXとZがそれぞれ「強い紐帯」(親しい友人関係)であれば、自ずとYとZの間に友人となる力が働く。*3
したがって強い紐帯が複数存在する場合、お互いに知り合いとして結び合い、クリーク(ネットワークのまとまり)が形成される。そのため、強い紐帯はブリッジになりえないのだ。
グラノヴェターは「すべてのブリッジは弱い紐帯である」と結論づけている。
ネットワーク全体から見ると、情報伝達は弱い紐帯の方が効率的であるというのである。
これが「弱い紐帯の強み」だ。
「弱い紐帯の強み」が新規性につながる
さらに、イノベーションの本質を「新結合」とすれば、結合される各要素に多様性がある方がその組み合わせに新規性が生まれる可能性が高まると考えられる。
「弱い紐帯の強み」の理論に沿って考えると、多様性の源泉となりうるのはイノベーション主体の所属コミュニティ、つまり強い紐帯からなるクリーク以外の集団に属し、異なる知見をもつ他者である。
そこで、彼らへのアクセスをいかに確保するかについてさまざまな議論がなされている。
冒頭でふれたジョブズのエピソードは、まさにそこにコミットするものだったのである。
ノーベル賞受賞者を9人排出した「伝説の建物」
次に、多くのイノベーションを産んだ「伝説の建物」についてみていこう。
9人のノーベル賞受賞者を排出し、世界の歴史上もっとも偉大な共同研究施設と評されている建物、マサチューセッツ工科大学 20号棟 マジカル インキュベータ(MIT’s Building 20 “The Magical Incubator”)である。*5
雨漏りのする仮設施設
MITの20号館は、1943年に放射線実験室として建てられた木造の仮設施設で、戦争中はMITの技術者たちがレーダーの開発に勤しんでいた。
仮設だったため、合板で建てられ、雨漏りがした。*1
暗くて換気も悪く、夏は暑く冬は寒い。

出典:MIT’s Building 20:“The Magical Incubator”(1998)動画:0:07-0:26
https://infinite.mit.edu/video/mits-building-20-magical-incubator
戦後はさまざまな研究室や団体、学生グループ、オフィスなどが入った。*5
電子工学研究所、原子力科学研究所、音響学研究所、言語学・哲学科、学部研究機会プログラム、総合研究プログラム、ソーラー電気自動車チーム、工科大学鉄道模型クラブ……、その他多くの研究室が数十年にわたって置かれ、画期的なイノベーションを多数、産み出した。
内部は何年もそこに勤めている人でさえ迷ってしまうほどごちゃごちゃしていた。*1
しかし、その混然とした構造のおかげで、異なる分野の人々の偶然の出会いが生まれたのである。
自分とは違うことをしている隣人
薄い壁だったのでドリルで穴を開け、研究室どうしをケーブルで簡単につなぐことができた。
そんなふうにして電気工学と鉄道模型を組み合わせたら、テレビゲームやハッキング技術を開発した人たちもいる。
そこで働いたことのある人は、次のように述べている。*5
この建物には仮設という性質以上のものがありました。
20号館はそこで働く私たちに呪術的な魔法をかけていました。みんなの中にある最高のものを引き出す、不思議な、魔法のような力です。オープンで魅力的な知的コミュニティでした。
隣人は必ずしも自分がやっていることと同じことをやっている人たちとは限らない。それが良かったのです。この建物にいると、コミュニケーションが自然に生まれました。
ちょっと見栄えのしない外観にもかかわらず、20号館は信じられないほどの「贅沢品」でした。
自由度&選択度の相互作用効果がクリエイティビティを高める
では、従業員がクリエイティブになれるオフィスとは、どのようなものなのだろうか。
経営学的オフィス研究の第一人者である稲水伸行氏の考えをみていこう。*2

出所)稲水伸行(2019)「活動に合わせた職場環境の選択が 個人と組織にもたらす影響 ─ Activity Based Working/Office とクリエイティビティ」 (『日本労働研究雑誌』)p.56
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2019/08/pdf/052-062.pdf
1つ目は「固定席」。オフィス形態は席の自由度・選択度ともに低い従来型の固定席で、いわゆる「対向島型」オフィスに該当する。
2つ目は、席の自由度は高いが選択度は低い「単純フリーアドレス」である。
ワーカーには固定席が割り当てられてはいないが、集中ブースやカフェ、協業スペースなどが十分に用意されているわけではない。
3つ目は、席の自由度は低いが選択度は高い「固定席型ABW(Activity Based Working/Office)」である。
各人に自分の席が設けられている一方で、その席を離れて集中ブースやカフェ、協業スペースなどを利用することもできる。
最後は、席の自由度も選択度も高い「ABW」である。
決まった席がないだけでなく、業務に適した多様なスペースが用意され、業務に合わせて自由に場所を選ぶことができる。
これらの形態はクリエイティビティとどのような関係にあるのだろうか。
フリーアドレス化だけでは逆効果?
稲水氏はインターネット調査によって得た3,000人分の回答を分析した。
クリエイティビティには、パーソナリティや内発的モティベーション(ワーク・エンゲージメント)が影響する。
調査の結果にもその影響がみられたが、それらを取り除いてみると、オフィス環境がもつ効果をある程度、観察することができた。
調査の結果、席を自由化し単にフリーアドレスにするだけでは、クリエイティビティへの効果はなく、場合によっては逆効果になりかねない可能性が示唆されたという。
その理由の1つとして稲水氏は、集中したいときにも集中ブースなどに移動できないため、ただ従来の空間をフリーアドレスにしただけでは集中しにくいのだろうと指摘している。
実際に、ゾーニングを伴わないフリーアドレスでは集中しにくいという研究結果もある。
2つ目の理由として、単純フリーアドレスでは実は従業員は動き回らず、その結果、異質な人、多様な人とのコミュニケーションが発生しない可能性があると同氏は分析する。
また、自由度と選択度の交互作用効果をみると、興味深いことがわかった。
自由度が低い場合、つまり固定席の場合には、選択度が変化してもクリエイティビティに有意な変化はみられない。
その一方で、自由度が高い場合、選択度が高くなると、クリエイティビティが有意に上昇するという状況がみられたのだ。
つまり、席が決まっておらず、さらに集中ブースやカフェ、協業スペースなど多様なスペースからそのときどきの状況に合わせてスペースが選択できるような環境が、クリエイティビティを高めるということである。
このことから、仕事内容に合わせて自ら職場環境を選べるかどうかという視点でオフィス環境を検討することが有益だと、稲水氏は指摘している。
おわりに
偶然の出会いは多様な人々との交流を促し、そこでの雑談がイノベーション創出のポテンシャルを高める。
そうした環境を産み出すのは、自由度と選択度との相互効果を重視したオフィスデザインである。
そんな観点からオフィスを見直してみてはいかがだろうか。
この記事を書いた人
資料一覧
*1 出所)マシュー・サイド著 トランネット翻訳協力(2021)『多様性の科学 画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』ディスカヴァー・トゥエンティワン(電子書籍版)pp.194-195
*2 出所)稲水伸行(2019)「活動に合わせた職場環境の選択が 個人と組織にもたらす影響 ─ Activity Based Working/Office とクリエイティビティ」 (日本労働研究雑誌)pp.54-56, pp.59-61
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2019/08/pdf/052-062.pdf
*3 出所)神吉直人「『The strength of weak ties』が拓いた地平」pp.308-310
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsrpim/36/3/36_308/_pdf
*4 出所)渡辺深「グラノヴェター『転職─ネットワークとキャリアの研究』」(『日本労働研究雑誌No.669』p.41
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2016/04/pdf/040-043.pdf
*5 MIT’s Building 20:“The Magical Incubator”(1998)
https://infinite.mit.edu/video/mits-building-20-magical-incubator
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