
「今の心境は、そうだな。離婚した嫁と同居を続けている感じ、かな」
「離婚した嫁、って会長のこと?」
「そう。昔は素敵な奴だった。一緒に居るのが楽しかった時もあった。だけど、今じゃもうウンザリしてて、愛はない。
それでも20年分の思い出と情があるから、まだ縋りついてくる相手の手を振り切って、立ち去ることまではできないでいる」
昨年末に「会社を辞めようと思う」と話していた友人と再び食事の機会を設け、「その後」について尋ねたら、こんな答えが返ってきた。
「俺の名前が新聞に載るかもしれない」と、切迫した表情で語っていたあの夜から半年が経ったが、彼はまだ会社にいた。
辞表も出していなければ、告訴もされていなかった。徹底的に戦う姿勢を見せて、会長、顧問弁護士、役員たちを相手に
「お前ら、本当にこれでいいと思ってんのか!」
と啖呵を切ったら、彼に対する追及はおさまったそうだ。
横領の疑いで刑事告訴され、のちに不起訴となった元社員は、無事に独立を果たし、事業は軌道に乗っているそうだ。
「よかったね」
「あぁ。今年は、俺と仲が良かった別の社員も独立して、そっちも上手くやってる。そいつが独立する時には、俺が可愛がってた外国籍の社員を2人連れて行ったよ。
これで、社内に残ってる俺が目をかけてる社員は、残り1人になった。」
「あとちょっとじゃない。でも、あなただってさっさと辞めていいのに。独立した人たちから誘われてるんじゃないの? こっちにきて、手伝ってくださいよって」
「あぁ。これまでに独立していったやつら全員から言われてるけどな」
「今は、まだその時ではないの?」
「うーん…。いつでもそうできるんだがな。それを会長も分かっているから、俺が独立しないよう、独立した奴らに引っ張られないよう、最近は分刻みでスケジュール管理してきて、もう完全にストーカー状態。
毎日、俺がどこで何をしているのか常に見張ってて、ウザいことこの上ない。そうやって俺を自由にさせないよう画策しながら、『助けてくれよ』と情に訴えようとしたり、しつこく飲み会やゴルフに誘ってきて機嫌を取ろうとしたり。イラつくけど、哀れでな」
「うんうん。で、相手がそうなってくると、あなたはますます冷淡になるんだよね?
めっちゃ想像つくわ〜。これまで付き合ってきた女たちにもそうだったもんね」
「いや、待て。なんでそういう話になる?」
「だって、そうでしょ?
それで、相手は『前はあんなに優しかったのに、あんなに楽しかったのに。あんなことやこんなこともしてくれたのに、なんで?』って訳がわからなくて、どうにか楽しかった日々を取り戻そうとして、まだ頑張れば何とかなるんじゃないかと思って、ますます執着するってわけ。
前に、そうやって縁が切れずにズルズルしてた女が居たじゃない?」
「それ今、関係ある?」
「同じことだから。あなたは子供の頃からずーっと、異性同性を問わずにモテてきたけど、いつだって自分の人生に夢中で、決して他人に夢中になることがない人よ。だから、あなたに夢中になる人が可哀想なの。絶対に報われないのに」
「え、俺ディスられてる?」
「ディスってないよ。事実を述べてるだけ。それで、離婚した嫁と一緒に暮らしているような気持ちで、これからも働き続けるの?」
「とりあえず今はな。もらう給料の分だけ、淡々と働いてるよ。
仕事に情熱は全く無くなってしまったけど、これまでに開拓した取引先から勝手に仕事の発注が来る仕組みを作ってあるから、営業努力を全くしなくなっても俺自身は稼げてる。楽っちゃ楽」
彼の話に耳を傾けながら、「人って短い間に変わるものなんだな」と考えていた。
一昨年までの彼は、公私の別なく仕事に打ち込んでいたのだ。妻から「もっと家族の方を見て欲しい。家族に時間を使って欲しい」と、何度も訴えられるほどに。
1週間のうち4日は接待で飲み歩き、帰宅するのは深夜か翌朝。せっかくの休日も社内イベントの企画に励んだり、社員たちのプライベートな相談にも乗っていた。
その全てを面白がっていて、いつ会っても「こんなことがあった。あんなことがあった。今度、こんなことをしてみるんだ」と、楽しそうに語っていたのに。
それを指摘すると
「共産主義体制の下では頑張れないよ」
ということだった。
共産主義とはどういうことなのかと聞いたら、
「俺は社員に対して『利益さえ上げれば何も言わない。1日の半分サボってたっていい。出勤してくるのが10時でもいいし、何時に退勤してもいい。その代わり金を稼げ』という姿勢でやってきた。
サボっていいとはいえ、売上を立てなきゃいけないから、結果的にみんなよく働いてたよ。
遅くまで会社に残る連中も多かったし、俺自身も一日中仲間たちと仕事して、そのまま会社に泊まり込むことがむしろ楽しかった。そうしながら、貪欲に売上を追求してたんだ」
「そうだね。毎年のように売り上げが伸びて、社員数も増えていってたもんね」
「そう。けど、去年から会長が勤怠管理システムを入れて、社員が『今・どこで・何をしているか』を把握したがるようになった。俺が現場を指揮してた時とは、真逆の体制に変えたんだ。
『サボりは認めない。その代わり、どこで何をしているのかさえちゃんと報告していれば良い』
ということになってな。そうすると、社員は誰も営業に出かけず、一日中会社に居るようになったよ。会長の目の届く場所に居さえすれば、数字を取らなくてもお咎めなしになったからな。
今じゃ、誰も残業なんてしてない。5時になったら全員が定時退勤して、5時5分には会社に誰もいない。俺もそうしてる」
「え? 5時に仕事終えて帰ってんの? まっすぐ家に帰るの? 取引先への接待もなくなったの?」
これまでの生活パターンを知っているだけに、あまりの激変ぶりに驚いて、思わず大きな声が出た。
「あぁ。今じゃ毎日、6時までには家に帰って、高校生の息子とゲームしてる。取引先との飲み会は、週に1度あるかないか。おかげで酒も前ほど飲まなくなった」
言われてみれば、今日もビールを口に運ぶピッチが遅い。日常的に飲まなくなったことで、お酒が体に入っていかなくなったのだろう。
「残業もしない。接待もいかない。休日にゴルフも行かないし、社内イベントもやめた。仲間が去って、今じゃ会長に尻尾を振る犬しか残っていないから、もう社員たちの生活に責任を感じることもない。だから相談にも乗らない。
おかげで今は心も体も楽だよ。淡々と働いてはいるけど、休んでいるみたいなもん」
「そうなのね。社員全員が5時で仕事を終われるってホワイトだから、今の世の中的にはいいことなのかもしれないけど」
「そうだな。でも、売上は5分の1に落ちたぞ」
「5分の1とは凄まじいな!」
「そりゃ、社員の誰も金を稼ごうとしなくなったんだから、当然だろ? 会長のご機嫌取りだけしてりゃ給料もらえるようになったんだから。頑張らなくても給料が出る。だったら頑張らない。まさに共産主義だよな」
「そんなんで会社つぶれちゃわない?」
「まあ、やばいだろ。でも、その責任は会長にある。去年の俺はまだ苦言を呈していたけど、今はもう何も言ってない。好きにすればいいと思って、見放してる。潰れるなら、それでいいさ」
「売り上げが激減してて、会長はどうしてるの?」
「あいつはもともと仕事ができないから、どうもできないよ。俺に助けてくれって言ってくるけど、知らん。
あいつがヘボいのは昔からで、それは分かってて、それでも良かったんだ。組織のトップってのはさ、アホでいいんだよ。『コイツのために頑張りたい』って思わせてくれる何かを持っていさえすれば。
昔のあいつにはそれがあった。けど、中途半端に金を持つようになって、すっかり人が変わってしまった」
変わったのは会長個人だけじゃない。会長が会社の経営に口を出すようになったら、たった2年で組織の体質が細胞レベルで変わってしまったのだ。
ついこのあいだまで売上高を更新し続け、人員も増え続け、経営状態が優良だった企業が、トップの失策により、こんなにもあっという間に転落するとは。
「さて、いい時間になったな。ボチボチ帰るか」
という提案に時計を見ると、10時を回ったところだった。
以前は、私がこの時間に帰ろうとすると、
「なんだよ、ずいぶん早く帰るんだな。俺はさ、日付が変わる前に帰ると逆に家族から『何してた?』って怪しまれるから、12時過ぎるまで馴染みのバーで時間を潰してから帰るよ」
などと言っていたのに。
「じゃあ、私はタクシー拾うね。そっちは代行を呼ぶのよね?」
「いや。車には乗ってない。最近は歩いてるんだ。家まで歩くよ」
「え? あの自慢の外車に乗らなくなっちゃったの?」
「体力づくりみたいなもん。俺さ、マラソン始めてるんだ。そのうちホノルルマラソンとかにも出ようと思って」
「そう…。プライベートを充実させることにしたのね」
「それも悪くないさ。今は、ちょっと休んでいるだけ」
「そうね。悪くないかも」
もはや「離婚した嫁との同居」のようになった会社員生活に、彼が自ら踏ん切りをつけるのが早いのか、それとも会社が潰れるのが早いのか、どちらだろうか。
どちらにせよ、そんなに猶予のある話ではないのだろう。それまでの間、休んでみるのも悪くない。
人生は長いのだから。
この記事を書いた人
マダムユキ
ブロガー & ライター
https://note.com/flat9_yuki
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