
「ウチも社員が40人を超えてきたんで、社是を作ってみたねん」
もうずいぶんと以前の事だが、古くからの友人だった経営者が飲み会の席で、そんなことを言ってきたことがある。
さらに本を自費出版し、経営方針や信念を理解させるため、社員とその家族に読ませていると説明する。
まったくもって嫌な予感しかしないが、聞いて欲しそうだったので調子を合わせる。
「で、どんな社是にしたんや?」
「ベタなんやけど、やっぱり商売の原点はシンプルやと思うねん。『全てをお客様のために』や」
「…そうか。それにした理由はなんや?」
「やっぱりノードストロームかな。顧客満足のないところに、企業の永続性はないんで」
なおノードストロームとは、アメリカを代表する高級デパートのことだ。
1901年創業の老舗で、その徹底した顧客満足追及の経営方針・経営姿勢で知られる。
そこからヒントを得て、自社も顧客満足を社是にしたという趣旨の事を話す。
それそのものは決しておかしなことではないし、ノードストロームから経営の原理原則を学ぼうとする経営者は多い。
しかしその上で、彼にこんなことを伝えた。
「間違いなく従業員からひんしゅく買ってるぞ。悪いこと言わんからやめとけ」
「この会社で仕事を続ける意味を教えて下さい」
話は変わるが、「お客さまのために」という言葉には私自身、苦い思い出がある。
ある中堅企業で経営の立て直しに携わっていた時の話だ。
経営再建中の企業ではどうしても、従業員の待遇や原材料費、諸経費などをできる限り切りつめざるを得ない。
状況により、時限的な給与の一律カットすらしたこともあった。
しかしそのような“再建策”で、会社はどうなるか。
僅かばかりの数字の“改善”と引き換えに、従業員は心身ともに疲弊しどんどんやる気を失い、組織は負のスパイラルに入っていく。
このような緊急避難が効果を発揮するのは、トップリーダーにとんでもないカリスマ性が備わっているか、あるいは近い将来にトンネルを抜け出すような希望が見える時くらいだ。
しかしそのような企業は、そもそも経営再建が必要な危機に陥ることなどない。
そんなジレンマに頭を抱えながら資金繰りに奔走していたある日、一人の中堅社員が面談を申し入れてきたことがあった。
午後一番の会議室、後から入室してきた彼女の顔には怒りや悲しみなど、複雑な感情がわかりやすく滲み出ている。
「この会社で仕事を続ける意味を教えて下さい!」
よほど思い詰めていたのだろう、いきなり直球で刺しにきた。とりあえず椅子に座るよう促し、言葉を待つ。
「この会社で仕事をする意味を教えて欲しいんです。給料も休みも少ないし、私は会社のために生きているんですか?」
この時期、こういった“殴り込み”は2回や3回ではなかった。
直属の上司に言ってもどうにもならなかったか、もしくは経営企画の責任者である桃野に文句を言えとたきつけられたか。
いずれにせよいきなり辞表を出してくる前に、こうやって体当たりに来てくれる社員の存在は本当に、ありがたかった。
とはいえ、思い詰めた社員に納得してもらえるような回答など、ない。
給与も増やせないし、休みを増やすことも、とてもできない。
つまり、彼女の言っていることはもっともであり、話を聞くことしかできない。
そんなこともあり言葉を待つと、さらに畳みかけてくる。
「桃野さん、ウチに来られて間がないのでご存じないかもしれませんが、ウチの社是って知ってますか?」
「…顧客第一主義ですね」
「これが許せないんです。お客様のために仕事をしようとしても、経費を使うなといわれるし。トラブったお客様のところに駆けつけようとしても、残業代は出さんぞって言われるんです。どこが顧客第一主義なのですか?」
「…」
「私は聖人ではありません。しかしお客様に対する責任感は誰よりも持っているつもりです。それすらも否定されたら、ブチ切れる以外にどうしろと?」
言うまでもない事だが、人が仕事をする意味はなによりも、自分自身の幸せのためだ。
やりがいだとか自己実現だとか、どんなキレイな言葉も、自身の不幸の上には絶対に成り立たない。
そんな中でも、顧客のために尽くすことでなんとか、気持ちを維持してくれていたのだろう。
しかしそんなごまかしは、ほどなくして破綻する。
人はまず、自分が幸せを実感できなければ、顧客に対して幸せなど提供できないのだから。
「至らなさをお詫びします。率直に言って給与や休みなどの待遇をすぐに改善することは、とてもできません」
「…」
「しかし顧客満足に関する経費や残業代の扱いについてはすぐに役員会で、具体的な方針を決定します。必ず改善することを、お約束します」
結局当時は、そのようなことを言ってその場を収めることしかできなかった。
正直、あの場面で何を言えば正解だったのか。どうすればよかったのかは、今もわからない。
その上で思うことがある。
「顧客第一主義」「お客様のために」
そんな社是なり指示を出す経営者やリーダーは多いが、本当にわかっているのだろうか。
社員が本気で、自発的にそんなことをしてくれるのは、自分自身が幸せであり、仕事と会社に満足している時だけだ。
家族ですらそうだろう。例えば家事を負担せず、体調不良の妻に寄り添おうとすらしない夫がいたとして。
そんな夫に対して「夫第一主義」「夫のために尽くそう」などと、妻が思ってくれるものか。
「顧客第一主義」
そんな社是なり指示を出している経営者やリーダーには、ぜひ考えて欲しい。
自分自身はしっかりと、“従業員の幸せ第一主義”といえるほどに、その心に寄り添えているのかを。
社是などで人は動かない
話は冒頭の、ノードストロームを参考に「全てをお客様のために」という社是を制定した友人についてだ。
「間違いなく従業員からひんしゅく買ってるぞ。悪いことは言わんからやめとけ」
なぜそんなことを言って、彼の社是を否定したのか。
先のような価値観があるのはもちろんなのだが、それだけではなかった。
彼は元々、製造業向けのコンサル出身で、仕事の仕組み化に強いこだわりを持っていた。
言い換えれば、顧客対応にあたる現場の社員には極めて限られた権限しか与えていなかったということだ。
そして経費も、神経質といえるほどに使途を徹底的に管理していると言う。
しかしノードストロームの「顧客満足の追求」は、こんなやり方とは対極にある。
同社ではマネージャークラスはもちろん、一従業員にも、独断で自由に使うことができる「顧客第一主義」実現のための予算が与えられている。
それは生半可なものではない。
顧客に合うサイズのスーツが在庫切れだった時など、ある社員は向かいのデパートに行き、その顧客に合うサイズのスーツを購入し、そのまま提供したような逸話すらある。
当然、顧客満足の対価である、社員に対する利益の分配も怠らない。
詳細は割愛するが、同社には魅力的なプロフィット・シェアリング(利益分配)の仕組みがあり、顧客満足は従業員自身の利益に直接繋がる。
早い話、顧客満足を追求するための権限が与えられており、そしてわかりやすい見返りがあるということだ。
言い換えれば、顧客満足の追求は自分の幸せの追求とイコールということである。
そのような仕組みやルールがあってこそ、「顧客満足の追求」「顧客第一主義」という社是は初めて機能する。
だからこそ、このような価値観を安直に指示するような経営者やリーダーには、考えて欲しい。
社是に書いたら、従業員がそのように動くだろうと妄想しているようなことはないか。
そんな「偉そうな」指示を出せるほどに、自分は従業員を幸せにできているのか。
実質の伴わない「顧客満足の追求」ほど、従業員の心を失う言葉はないと確信している。

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この記事を書いた人
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)など
多くの経営者の座右の銘にもなっている、近江商人の家訓。
「売り手よし 買い手よし 世間よし」
それに対し、買い手(顧客)第一主義という価値観はいつ誰が作ったのだろうと、たまに不思議になります。
X(旧Twitter) :@ momod1997
facebook :桃野泰徳
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