
今回は人気Webライター、マダムユキさんに寄稿いただきました。
舞台は、地方の中小企業オフィス。営業マンは定時ぴったりに帰る一方で、女性事務員だけがサービス残業を強いられるという現実を通じて、古い価値観と低賃金が若者流出を招く構造を描いています。
「なぜ若者は地元に残らないのか?」という問いに対し、給与水準の向上と“時間の使い方を尊重する職場文化”こそが地方再生のカギであることを、鋭い視点とリアルな描写で提示しています。
「すみません。村上さんはまだ居ますか? 明日の予定のことで、できたら今日中に確認したいことがありまして」
そう言いながら私が営業部のオフィスに入ったのは、午後5時35分のことだ。うちの会社は5時半が定時なので、もう帰ってしまったかと思ったが、ひょっとしたらギリギリ居るかもしれないとも思い、帰り際に立ち寄ってみた。
すると、営業部に5人いる女性事務員たちがいっせいに振り向き、「村上さんなら、もう帰りましたよ」「彼ならとっくに」「5時半になるなり、ダッシュで帰っていきましたから」と口々に話しだす。
事務所内を奥まで見渡せば、男性営業マンたちは一人も残っていない。対照的に、事務を担う女性たちだけが全員まだ机に座り、手を動かしていた。
「ええ? もう居ないの? 早っ。っていうか、村上さんだけじゃなくて、男性社員はみんな帰ってるのね。いや、もちろん5時半をすぎてるんだから帰ってていいんだけど、なんで男性社員の方々は5時半ぴったりに帰れて、事務員さんたちはみんなまだ残って仕事しているの?おかしくない?」
思わず疑問を口にした私の顔を事務長は見ようとしなかったが、比較的若い女子社員たちは顔を上げて、「本当ですよね〜」「ねぇ〜」と言い、互いに顔を見合わせてうなづきあった。
それより遡ること数日前、私は、「残業をするな」と、経理の鈴木さんから直接言われたところだった。
「今後は、原則として上司の指示がない残業はしないでちょうだい。5時半チンでタイムカードを押して、すぐに帰って」
そう言われる前は、1日につきほんの数分〜20分程度のことだが、毎日のように残業していた。
振られるタスクが多すぎて、就業時間中にフル回転していても、仕事を5時半ぴったりに切り上げるのが難しかったためだ。また、終業時間の直前に上司がやってきて、次の仕事の指示を出し始めるため、5時半だからと言って席を立てないこともしばしばだったのだ。
定年後の再雇用で働き続けている鈴木さんはご高齢で、新しい会計ソフトやエクセルの使い方を覚える気がない。いまだに電卓を叩いて給与計算をしているため、「半端な残業代は計算が面倒」という理由もあるのだろうが、極力残業代を払いたくないという会社側の意向でもあるのだろう。
本来であれば、 定時を1分でも過ぎて働いた分は、残業として計上しなくてはならないらしい。けれど、それも本人が申請しない限りは残業としてみなされず、残業代の支給もないということだった。つまり、会社のために少し余分に働いても、社員が自ら残業を申請しない限り、報われない仕組みになっているのだ。
中途採用である私は、歳を食っているとはいえ、まだ入社1年目の新入社員なのだ。勤続数十年のベテラン経理担当者に嫌な顔をされながら、分刻みの残業代を申請する気にはとてもなれなかった。
かといって、サービス残業をする気にはもっとなれない。そのため、以前は自主的に居残って上司や社長の雑談につきあうこともあったが、今はそれもやめている。
定時を過ぎてまで役員や社長の雑談に付き合わないために、
「すみません。なるべく5時半ぴったりにタイムカードを押して、早く帰るよう経理の鈴木さんに言われましたので」
と役員の一人に断りをいれたところ、ひどく驚いた顔をされた。
「え? 5時半ぴったりにタイムカードを押すなんて無理だよね。そもそも5時半までは机に座って、最後の1分1秒まで業務に取り組むのが社員の勤めでしょ?
お茶を飲んだカップを洗ったり、ゴミ出しをしたり、そういう片付けをするのは5時半以降にするのが社会人として当然の常識。営業部の女子社員たちはみんなそうしているよ」
そう返されて、今度は私がひどく驚いた。しかし、「そんなアホな」とせりあがる気持ちをどうにか押しとどめて、顔と口には出さなかった。
役員と社員とでは立場が違う。ものの見方や考え方も違って当然といえば当然なのだが、こちらとしてはマグカップを洗ったり、ゴミ出しをしたりする時間も「会社に拘束されている時間」である。それを終業後にやれと言われるのは腑に落ちない。
しかし、そうした感覚の違いを指摘したところで、厚かましい社員だと思われるだけだろう。
それにしても、経営サイドがこういう考えを持っている会社では、働きやすさは期待できない。令和の時代に、まだこんな価値観がまかり通るのかと絶望的な気分になった。
そういえば、同じ部署の事務員である田中さんは、そうした役員の声に聞こえないふりをして、キッチンの片付けもゴミ捨ても、5時半前にはさっさと済ませ、いつも5時半ぴったりにオフィスを出ている。
てっきり他部署もそうだと思っていたため、田中さんに
「営業部の事務員さんたちは5時半を過ぎてもまだ残っているって聞いたのだけど、みんな残業代はちゃんともらっているの?」
と聞いてみた。すると、
「いいえ。この会社で一番早く帰っている事務員は私です。営業部の人たちは毎日10分〜15分くらい残っているようだけど、片付けしたりとかの時間だから、残業代をもらっている人はいませんよ」
などと言うではないか。ナンダソレハ? 驚きが深まるばかりだ。
営業部は特に忙しいと以前から聞いていたので、それならば営業部全体の帰りが遅いのかと思っていたら、営業マンは定時になるとさっさと帰り、オフィスに残っているのは事務員だけだったのである。
しかも、定時になったら片付けや着替えの時間だと聞いていたのと実態は違い、私が見た時には、まだ全員がパソコン画面を開いて仕事を続けていた。
例えほんの5分〜10分程度のことだとしても、彼女たちはサービス残業をさせられている。
後日、営業部事務員の近森さんとエレベーターに乗り合わせたので、こっそり聞いてみた。
「ひょっとして、営業部って毎日ああなの? 近森さんたちは残業代をもらっていないと聞いていたけど、5時半を過ぎてもまだ仕事をしてたよね?」
「う〜ん、まあ、ちょっとのことと言えばちょっとのことなんですけどねぇ。
営業部はベテラン勢の考えが古いんですよ。女子社員は5時半までちゃんと机に向かって、仕事をしていなくちゃいけないって思わせられてて…。でも、なかなか5時半ぴったりには終わらせられないから、ちょっと時間を過ぎてしまうことになるんですよね。」
「でもさ、ちょっとの時間でも、1ヶ月分が積もれば数時間分になってそうだけどね」
「そうですけど、いいんです。ぜんぜん納得はしてませんけど、とにかくこの会社は古いから…。」
納得していないと言いつつも転職を考えず、我慢して働いているのは、この会社が地元企業の中ではマシな部類に入るからだろう。
一般的に、地方の中小企業は給料が安い。女性社員は特に低く抑えられ、男性社員に比べてかなり差がある。勤め先の会社の給料は、地域的には高い方だと言われているが、それでも若い人にとって魅力的な水準ではない。
加えて、役員やベテラン社員が「終業時間ギリギリまで机に向かって仕事をするのが社会人として当たり前」という考えを持っている会社では、働きやすさも期待できない。
だからこそ高校や大学を卒業した若者たちは、地方に残るより都会で働くことを選ぶのだ。都会で就職すれば、同じ仕事でも高い収入が得られ、労働条件も柔軟で、手厚い福利厚生もある。
何より、地方企業の低い給料と待遇に甘んじてきた親世代の社員たちこそが、「うちみたいな会社に就職しちゃダメだぞ」と、子供たちに言い聞かせているのである。
これでは、若者が都会へ流出するのは当然の成り行きだ。今や地方に残る現役世代の多くは30〜40代以上で、本当に若い人は地元企業に就職しない。
10年後、地方はどうなっているだろうか。恐らく、今以上に若者たちからそっぽをむかれ、外国人にも相手にされず、いっそう深刻な人手不足に陥っているだろう。
若者が地元に残るには、そして国内外からの移住者を増やすには、地方の企業が給与水準を上げることはもちろんだが、「時間の使い方が尊重される環境」も必要である。誰もが定時で堂々と帰れて、サービス残業をしなくても胸を張っていられる職場。
そうした当たり前のことが守られるようになってこそ、地方に未来が生まれるのではないだろうか。
この記事を書いた人

マダムユキ
note作家 & ライター
https://note.com/flat9_yuki

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