
「俺の机、一般フロアに移したねん。会社の風通しや意思疎通が、すごく良くなったわ」
もうずいぶんと以前のこと、中堅クラスの会社を経営する友人から、そんな話を聞くことがあった。
社長室にこもってばかりだとなかなか情報が入らず、何より社員と心の距離が離れることを感じたからだという。
「へ・・・?一日中、社員と同じフロアで仕事してるんか?」
「来客がある時は、社長室で打ち合わせとかするけどな。基本的に社員と同じフロアに座ってる」
「就業時間中、ずっとなんか…」
「なんや、オープンフロアとか今どき、常識やんけ。何をそんなにビビってるねん」
ニュースなどでもよく、市長や知事といった首長が執務室のドアを廃止したなどという“パフォーマンス”を目にすることがある。
風通しを良くしたい、部下との距離を縮めたい、情報共有のスピードを上げたいというようなもっともらしい理由だ。
しかしフロアに机を置こうが、社長室のドアを廃止しようが、そんなもの的外れに決まってるだろう。
そのためやや言い過ぎかと思ったが、直截的な言葉でアドバイスする。
「やめとけ、きっと社員は相当嫌がってる。今以上に距離が離れるし、仕事の効率も悲惨なことになるぞ」
「ずいぶんやな、どういう意味やねん」
「当たり前ですが何か?」
話は変わるが、2011年3月に発災した東日本大震災の時のことだ。
日本だけでなく、世界中を震撼させた福島第一原発の、水蒸気爆発。
あの現場には、東電、自衛隊、警察、消防、行政をはじめとしたさまざまな分野のエキスパートが集結していたことは、多くの人の知るところだろう。
しかし史上初めて、それら組織を統括する役割が自衛隊に与えられたことを知る人は、そう多くない。
そして「福島原発対処現地調整所長」として、その責任者を任されたのが陸上自衛隊の田浦正人・陸将補(当時、以下敬称略)だった。
言うまでもなく、制御を失い爆発を繰り返す原発に立ち向かった指揮官など、世界中に誰もいない。
自衛隊の指揮下に、警察、消防、行政だけでなく、東電という民間事業者まで入ったことも、一度たりともない。
文字通り、未曾有の国難の中で誰もやったことがない、失敗の許されない“一発勝負”の現地指揮官を任されたのが田浦であった。
「当時、やはり指揮所に詰めっぱなしで寝る間も無く、相当追い込まれていたのではないでしょうか」
そんな田浦も、震災から8年を経て陸将・北部方面総監という最高幹部まで昇ると、2019年に退役した。
そして光栄なことに、今は“飲み友達”として多くの知見や教えを頂戴している。
そんなこともあり、当時の事をそのように聞いてみたのだが、意外な答えが返ってくる。
「いえ、私は1日のうち必ず10時間は指揮所を離れ、自室にいると決め、実際にそのようにしていました」
「え・・・、10時間もですか?あれほど事態が流動的で、何があるかわからない時にですか?」
「はい、そうです」
そういうと田浦は、「当たり前ですが何か?」というようにニコリと笑い、ビールを口に運ぶ。
いつ何が起こるかわからないあの非常事態に、指揮官が指揮所に寝泊まりせず、10時間も自室に戻っていたというのだ。
敬愛する自衛隊元最高幹部から聞く“現場放棄”に驚きを隠せず、思わず言葉が尖る。
「とても信じられません。それでは不測の事態が起きた時…というよりも不測の事態しか起きていない時に、現場が混乱しなかったのでしょうか」
「その通りです。まさに不測の事態が連続しているからこそ毎日10時間、指揮所を離れたのです」
(なにを言っているのか、さっぱりわからない…)
きっとそのように、私の顔に書いてあったのだろう。
それを見透かすかのように、田浦は話を続ける。
「非常時において一番恐ろしいことは、戦うべき勝負どころで幕僚以下のスタッフが皆、疲れ果てていることです」
ビールジョッキを置いた田浦は笑っているが、もう目は笑っていない。
きっと当時のこと、福島原発での緊迫した時間と空間に、想いが戻っているのだろう。
手汗を感じ、緊張に思わず背筋が伸びる。
「もし私が指揮所に寝泊まりし、食事もそこで済ますなど詰めっぱなしになったら、何が起こるかわかるでしょうか」
「…申し訳ございません、想像もつきません」
「幕僚がみな、寝られなくなるのです。気が休まらなくなります。指揮官が殺気立った空気をまといながら指揮所を離れないのですから、自分だけ休むわけにはいかなくなってしまいます」
自分の想像力の欠如を、これほど恥ずかしいと思ったことはない。
その通りだ、トップリーダーが四六時中「気合い」を見せるようなことをしてしまえば、組織は常に臨戦態勢を求められ、たちまち“電池切れ”を起こしてしまう。
とはいいながら、福島原発のあの状況であれば文字通り、24時間すべてが戦闘状態だっただろう。
そのため食い下がり、疑問をぶつける。
「仰っていることはわかりました。しかし指揮官が自室で休んでいるとなると幕僚は遠慮してしまい、本当にヤバい非常時の対応も遅れるのではないでしょうか」
わが意を得たりとばかりに、ニコリとする田浦。今度は目も笑っていてホッとする。
「その通りです。ですので私は自室に戻る時、フロアの皆にこう、声を掛けていました」
“寝る勇気!”
“起こす勇気!”
「寝る勇気!」は、田浦が自室に戻る際にフロアの皆に掛ける声。
「起こす勇気!」は、フロアにいる幕僚に必ず復唱させた返事である。
何かあったら、すぐに部屋に来い。
絶対に迷うな、もし寝ていても勇気をもって俺を叩き起こせという、トップリーダーからの強い意思表示だ。
加えて、俺がいない間には皆も、「寝る勇気」を必ず実行しろという命令である。
「そしてなぜ10時間、席を外すと決めていたかわかりますか?この時間にも、意味があります」
「申し訳ございません、それもわかりません。まさかご自身だけ、10時間休んでいたとも思えませんし…」
お願いだから、社長室にこもってくれ
「私が10時間指揮所を離れると、幕僚が交代で5時間ずつ寝られるんです。1日に5時間休めば、短期間であれば人は心身を強く保てます」
そうか、そういうことか…。
田浦の“現場放棄”こそが実は、何にもまして指揮官としての、これ以上に無いタフな決断だったということだ。
考えてもみて欲しいのだが、もし自分が田浦のようなポジションを任された時。
何があるか想像もつかないので、きっと24時間ひとときも空けることなく、指揮所で過ごすだろう。
自室に戻るなんてことをしたら、いつ何が起こるかわからない。
下手したら、指揮官ぎくせに何休んでいるんだと筋違いの批判にさらされる可能性もある。
「ちゃんと仕事してます」
そんなアリバイ作りと保身のためにも、私のような小物ならきっと、指揮所で寝泊まりするだろう。
しかし田浦は違った。
組織にとって何が全体最適かを考え抜き、国を守るために何をすべきかを考え抜いた上で、指揮所を離れた。
不測の事態に備えた「風通し」「連絡体制」といったルールを全て定めた上でだ。
これほどに、勇気のある決断があるだろうか。
幕僚のそれぞれが最大限の能力を発揮できるよう、指揮官が指揮所を離れるのである。
もちろん、全責任を負うことなど当然の前提である。
思えば日露戦争の時の陸軍最高司令官・大山巌もそうであったが、勝負どころ以外では指揮所を離れ、昼寝を決め込んでいたという。
大器の指揮官というものは、スタッフの能力を最大限に引き出すために、決してマイクロマネジメントなどしない。
このようなエキスパート皆の働きもあり、東日本が壊滅寸前の瀬戸際で持ちこたえたこと、改めて心からの敬意を感じている。
そして話は、冒頭の友人についてだ。
「俺の机、一般フロアに移したねん。会社の風通しや意思疎通が、すごく良くなったわ」
友人経営者の何を、私が批判したというのか。
福島原発と田浦のエピソードをお話した後に、もはや多くの言葉は不要だと思うが、そうもいかないので少しだけ補足したい。
誤解を恐れずに言うが、従業員は経営トップのことなど基本的に好きではない。
もう少し穏やかな言い方をすれば、必要最小限の接触しかしたくないと思っているものだ。
自分の人事や待遇について、全権限を持っている相手なのだから当然だろう。
一緒のフロアにいれば顔色も気になるし、他の社員への𠮟責であっても思わずビクビクする。
要するに存在自体がストレスであり、同じフロアにいればそれだけで、心身のリソースを30%は持っていかれるのである。
(お願いだから、社長室にこもってくれ…)
よほど対等に近い関係にあるか、いつでも自立できるほどに能力のある社員であれば別だが、多くの社員はそう思っているに決まっているだろう。
「風通し」や「連絡体制」などというものは、物理的な距離とは無関係であり、むしろ近くなるほどに遠くなることもあるということだ。
だからこそ人は、重い職権を背負った時ほどそれを「部下の為に」使うことを、一番に考えなければならない。
すなわちどうすれば、目的が達成されるのか。部下たちは最高のパフォーマンスを上げることができるのか。
そのために自分は何をなすべきなのか。
福島原発という究極の修羅場で田浦が見せた“勇気ある決断”が、それを考える一助になることを願っている。
🎤セミナーのお知らせ🎤
現場が自ら判断し、動ける組織をつくるには。
福島第一原発事故の現場で指揮を執った元陸将・田浦正人氏から、 組織に判断の軸を示す「伝えるリーダーシップ」を学びます。
10月21日(水)16:00-17:20|会場・オンライン|参加無料
お申込みで書籍プレゼントキャンペーンも実施中!


この記事を書いた人

桃野 泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。主な著書『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)など
えらそうなことかきましたが、まあ自分には無理です泣
X(旧Twitter) :@ momod1997
facebook :桃野泰徳
組織力の強化や組織文化が根付くオフィス作りをお考えなら、ウチダシステムズにご相談ください。
企画コンサルティングから設計、構築、運用までトータルな製品・サービス・システムをご提供しています。お客様の課題に寄り添った提案が得意です。
