
つい最近、学習塾などを運営する「花まる学習会」代表の高濱政伸氏と、お話しをさせて頂く機会があった。
「花まる学習会」は、SAPIXのような「偏差値の高い学校に入るための」受験専門の塾ではない。
ではどのような塾なのかというと、目的は2つ。
「将来「メシが食える大人」そして「魅力的な人」を育てる」こと。
そのために、思考力や算数の力を重視しつつも、受験がメインの塾とは異なり、野外体験などの独自のカリキュラムが提供されている。
学習塾に子供を入れる動機として「良い学校に入る」とか、その結果として「良い企業に就職する」のような目標が多いと思う。
だが、今の世の中で「メシが食える大人」を目指しているのは、なかなか面白いし、的を射ている気がする。
「メシが食える大人」とは何か
メシが食える大人とはどういうことか。
おそらく言葉としては「独立」に近いだろう。
「日本国語大辞典」では、以下のように定義されている。
”個人が一家を構え、生計を立て、完全に私権行使の能力を持つこと”
反対語は「従属」だ。
例えば、小学生は、独立しておらず親に従属している。
小学生は弱いので、親の庇護がなければメシがくえない。
では大学生はどうか。
従属度は小学生よりひくいかもしれないが、通常は学費や生活費を親から出してもらっているだろうから、これもやはり親に従属しており、「自立している」とは言えない。
では、会社員として「給料をもらって働いている」人はどうか。
これは、自分の稼ぎで生活しており、「独立している」と言えそうだ。
真の「独立」とは?
しかし、少し考えてみてほしい。
会社員は本当に「独立している」のだろうか?
必ずしもそうではないかもしれない。
例えば、本人の意図に反して、勤め先から行動を束縛されているとすれば、それは従属している、と言えるかもしれない。
会社の指示に唯々諾々と従うだけで、そこになんの自分の意志もなければ、「支配されている」と言ってもよいだろう。
福沢諭吉は、「学問のすゝめ」において、次のように言っている。
独立とは、自分自身で自分の身を治め、ほかの人に頼ろうとする気持ちを持たないことを言います。
自分で物事の正しい・正しくないを見分けて、判断や処置を誤らない人は、他人の知恵に頼らないという意味で独立しています。
自分の心身を働かせて、自分の力で生計を立てる人は、他人の財産に頼らないという意味で独立しています。
もし人々がこの独立の心を持たず、ただ他人の力に寄りかかろうとするだけなら、国中の人がみな「頼る側」になってしまい、「引き受ける側」になる人は誰もいなくなるでしょう。
つまり、独立しているとは、お金の面だけではなく、「主体的に人生を選択できる状態」と考えてよい。
だからこう思う。
「はたして、私は独立できているのだろうか」と。
受け身の人生で「他者の価値観」や「恐怖」に従属すると、ろくな人生にならない
というのも、「他者との比較に基づいた決定」を、しばしばやってしまうからだ。
「みっともないと思われてしまうかな……」
「自慢してやろう」
「あの人よりはいい給料が欲しいな」
「あの子の成績には勝ちなさい」
これらは「独立して決定」しているわけではない。
どちらかというと無意識のうちに、他者に従属している決定であり、「自分が本来求めていること」とは、乖離した決定をしてしまうことすらある。
また、「恐怖」によって決定を行うことも、独立した大人から遠ざかる。
ベストセラー「DIE WITH ZERO」では、生きているうちに資産がなくなることを恐れるあまり、「人生の楽しみ」の多くを放棄してしまう人が多いことを問題としている。
富の最大化ではなく、人生の喜びを最大化するための方法を探さなければ、人生は無為なものになる、というのだ。
「キリギリスはもうちょっと節約すべきだが、アリはリスクをとって、もっと金を使うべきだ」というのが、同書の主張だ。
「なんとなく不安だから」という理由で、節約に節約を重ねても、残るのは銀行預金と、年老いた自分の身体のみ、では、なんのための人生かわからない。
「独立してない大人」問題
話を戻そう。
かつて福沢諭吉が批判したように、「独立してない大人」は、国としても問題だ。
依存し、従属することが癖になっているので、
・不都合なことは、他者(あるいは政府や企業)のせいにする
・常に受け身で「待ちの姿勢」である
・実績はあげないが、見栄ははりたい
・リスクを取ることが下手で、「安全策」ばかり取った結果、人生の幸福度が減る
といった、あまり好ましくない特性をもつ人間になる。
この福沢諭吉の嘆きは、現代にも通じる。
「学問のすゝめ」には、以下のようにある。
仮に、人口百万人の国があるとします。このうち千人は賢い者で、残りの九十九万人あまりは無知な庶民だとしましょう。
賢い者たちが、その才能と徳をもって庶民を治め、あるときは子どものように愛し、あるときは羊のように養い、あるときは威して従わせ、あるときはなだめて導き、恩と威を使い分けて進むべき方向を示すなら、庶民は自分でも気づかないうちに上の命令に従い、盗みや人殺しといった事件も起きず、国の中は平穏に治まることもあるでしょう。
けれども、その国の人々が最初から「主人」と「客」という二種類に分かれていて、主人は千人の賢い者、国をうまく動かす役を担い、残りの者は皆、何も知らない「客」の立場だとしたらどうでしょう。客である以上、責任も少なく、心配も薄れます。主人に頼りきりで、自分の身で引き受けようとしないのですから、国のことを心配する気持ちが主人と同じになるはずがありません。これは実に、どこかよそよそしく、しっくりこない状態です。
国内のことだけなら、まだ何とかなるかもしれません。しかし、いったん外国と戦争するようなことになれば、その不都合はすぐに分かります。無知で力もない庶民が、武器を手にして戦うことなど本来得意ではありませんが、それでも「自分たちは客の立場なのだから、命を捨てるのは身分不相応だ」と言って逃げ出す者が多くなるでしょう。
そうなれば、この国は名目上は百万人いても、いざ国を守る段になると頼りになる人数はひどく少なくなり、とても一国として独立を保つのは難しくなります。
今は「自分が企業を構成している」「自分が日本を構成している」とは思わず、
「自分は客だ」と本当に思っている人が増えているのだろう。
その一味にならないよう、「独立した大人になること」を子供にきちんと教育する。
高偏差値の学校に入るよりも、遥かに大事なことだ。

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この記事を書いた人
安達 裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」88万部(https://amzn.to/49Tivyi)
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◯note:(生成AI時代の「ライターとマーケティング」の、実践的教科書)
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