
昨晩、久しぶりに元同級生の男友達と食事をした。
彼に会うのは一年ぶり。年に一度、お互いの近況を報告し合うだけだけれど、切れない縁のある昔馴染みだ。
その彼が、席に着くなり切り出したのは、穏やかではない内容だった。
「実は、会社を辞めようと思ってる」
それだけなら、ごくありふれた話だ。
けれど、彼は続けて、こう言った。
「辞める時が来たら連絡するよ。刑事告訴されて、ひょっとしたら新聞に出るかもしれないから、親しい人たちには事前に知らせておこうと思う」
冗談とも本気ともつかない口調だったが、目は笑っていなかった。
何より、彼が「会社を辞めたい」と本気で考えていること自体が、私には意外だった。
「順風満帆すぎて、そろそろ飽きたなぁ〜。刺激が足りないから、別の仕事でも始めようかな」
なんて、冗談めかして言うことはこれまでにもあったけれど、なんだかんだで「今の仲間たちと働くのが楽しいし、中途半端に放り出せない」と言っていたのだ。前回会った時には、まだ何の不満もなさそうだったのに、いったい何がどうしたのだろう。
どうやら、この1年の間に、彼の会社では様々な社内トラブルがあったようだ。 問題となっているのは、創業家と現場の社員たちとの対立だという。
こんなご時世でも、彼の勤める会社は業績がいい。
本業でも十分な利益を出していたところに、事業拡大を狙ったM&Aが成功し、創業家には巨額のキャッシュが入ったそうだ。
問題は、その「成功」のあとに起きた。
それまで現場と同じ方向を向き、「もっと上を目指そう」と語っていた創業家の会長は、その成功をきっかけに人が変わってしまったとのことだった。
失敗のリスクを恐れるようになってチャレンジをやめ、手に入れたものを失うことへの恐怖にも支配され始めて、現場を信じなくなったのだ。
社員たちへの締め付けも強まり、嫌気がさした者が一人、また一人と会社を去り始めると、会長は退職者を「裏切り者」と呼んで断罪を始めた。
横領の疑いをでっちあげ、民事だけでなく刑事でも告訴したのだ。訴えられたのは、彼の同期だった。
「そいつにも隙があったのは認める。接待だ何だと言って、かなり派手に経費を使っていたからな。もともと目に余るところはあった。 だけど、そいつを役員に引き上げて、会社のクレジットカードを渡し、好きにさせていたのは会長だ」
よくあるやり口だ。「使える」社員を役員に引き上げ、会社のカードを渡し、裁量を与えておく。
けれど、いざその社員が会社にとって都合の悪い存在になると、これまで自由に使わせていた経費を「承認していない」として、横領罪で糾弾するのだ。
さらに酷かったのは、単に経費精算を処理しただけの事務員まで、共謀罪で告訴したことだった。
「100歩譲って民事で訴えるのはまだ分かる。金遣いの荒さが目立ってたからな。使いすぎてた分を返せっていうのはいい。けど、刑事告訴はやりすぎだ。
事務の女の子なんて何の落ち度もないのに、巻き込まれて可哀想だった。彼女も今の会長を嫌って辞表を出した社員の一人だったから、許せなかったんだろう。
可愛がっていた奴らに辞められて会長も傷ついたんだろうが、嫌がらせのためにここまでするなんて、 どうかしてるよ」
そう言いながら、友人はスマホの画面を私に見せた。二人の社員が逮捕された地元紙の記事を写したものだ。
そこには、社員二人が共謀して会社の現金を横領した疑いがあることと、懲戒解雇されたことが書かれていた。
はなから事件性はないため、結果的には不起訴となっている。
それでも逮捕され、こんな風に事件として新聞に載ってしまう。懲戒解雇されたとあるが、二人はもともと辞表を出していたのだ。
それを、これまで苦楽を共にしてきた社員たちから見限られたことを認めたくない会長が、無理筋な訴えを起こして彼らを犯罪者あつかいし、懲戒解雇処分にしたのである。
目的は、ただの嫌がらせであり、見せしめだった。
そんなことがあれば、もちろん社内の雰囲気はいっそう悪くなり、余計に退職者が続出する。 会長にとっては「俺を裏切ったらただではすまんぞ」という脅しのつもりだったのだろうが、完全に裏目に出ていた。
独立や、条件の良い転職ができる実力を備えた社員たちから順に会社を去っているそうで、来月にはさらに3人の古参社員が辞める予定だという。
「周りにどんどん先を越されちゃってるようだけど、あなたはまだ残ってて大丈夫なの?」 と聞いてみると、
「会社には、俺が引き込んだ社員がまだ何人か残ってるんだ。この1年で仲間の半分以上が辞めたけど、それでもまだ何人か俺を慕ってる奴らが残ってる。責任上、そいつらより先に俺が辞めるわけにはいかんだろう。それに…」
「それに? 」
「家族にはもう事情を話してあるが、やっぱり子供が学校に通っているうちは、迷惑をかけたくない。
おれが辞表を出したら、まず間違いなく告訴される。俺も『ちょっとは身なりを調えろ』なんて言われて、会長から会社のカードを渡されていたんだ。
不正な使い方はしていないと胸を張って言えるけど、こういうことはどうとでもいちゃもんがつけられる。重箱の隅をつつくようにこまかいことをあげつらわれるに決まってる。
会長を見限って独立していく奴らを応援する行為も、ライバル会社への利益供与だと言われて、背任とされるだろう。
だから、辞める時は本当に連絡するよ。事前に教えるから、俺のことが新聞に載っても驚かないでくれ」
そう言って、彼は胸元からレコーダーを出した。
今は会長と激しく対立しつつも、粛々と仕事はこなしているそうだ。
会社に大きな利益をもたらしている彼を、会長も「従順ではない」という理由で潰すことはできないだろう。だからこそ、いざ去っていかれる段になると、損失の大きさに耐えられず、報復は苛烈なものになることが予想される。
彼は今、どんな言いがかりをつけられても反論と反証が可能なように、 社内での会話を全て録音しているという。自分と家族の身を守るためだ。
この会長のように恐怖で人を縛ろうとすると、組織は静かに壊れていく。
表向きは従っているように見えても、心はすでに離れているのだ。
組織は続いているように見えても、残っているのは不信と疲弊である。次の世代が育つ余地はない。
「会社を辞めた後はどうするの?」
「さて、どうするかな。こんな世の中だからな。農業なんかいいかもしれないって、最近はマジで思ってる」
「いいんじゃない。このあたりも耕作放棄地が目立ってきてるから、農地はたくさんあるものね。
今の世の中は本当に必要なものが生産されていないのに、通貨の供給量を増やしてばら撒きばかりしているから、貨幣価値が下がってしまっている。これからは、絶対に必要で、実態のあるものを生産することの価値が上がっていきそう」
「そうだろ。そう遠くないうちに食糧難の時代が来るかも知れないしな」
「トラクターを運転するところ、きっとかっこいいと思うよ」
私は、彼の筋肉が厚く盛り上がった胸板と二の腕を見つめた。もう若いとは言えないが、気力と体力は十分に充実している。
家族の近況を聞けば、二人の息子たちはそろって体力自慢だというから、第二の人生は、家族と一緒に農業法人を立ち上げるのもいいかもしれない。戦いはこれからだ。

この記事を書いた人
マダムユキ
note作家 & ライター
https://note.com/flat9_yuki
※本稿は筆者の主観的判断及び現場観察に基づく主張であり、すべての読者に対して普遍的な真実を保証するものではありません。
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