人的資本経営とは 「人材版伊藤レポート2.0」を参考にオフィスのあるべき姿を考えてみよう

人材の一人ひとりと向き合い、その価値を見出し伸ばす経営を実践してきたかが、いま真に問われている。日本企業は総じて社員を本当に大事にしてきただろうか。「人に優しい」との評判は「都市伝説」だったのか。

こう記したのは、「人的資本経営の実現に向けた検討会」の座長を務めた伊藤邦雄氏。 同検討会の報告書である、いわゆる「人材版伊藤レポート2.0」の前書きの一節である。*1

人を大切にする。そのために人に投資し、人の価値を最大限に引き出す。そして、それを中長期的な企業価値の向上につなげる―それが人的資本経営のコンセプトである。

こうした人的投資の観点から、労働環境整備の重要性が高まっており、オフィスのあり方にも注目が集まっている。
「人材版伊藤レポート2.0」を参考に、オフィスのあるべき姿を考えてみよう。

人的資本経営と「人材版伊藤レポート」・「人材版伊藤レポート2.0」

人材はこれまで「人的資源(Human Resource)」と捉えられることが多かった。*2
この表現は、「既に持っているものを使う、今あるものを消費する」ということを含意する。そのため、「人的資源」という捉え方をすると、マネジメントの方向性も「いかにその使用・消費を管理するか」という考え方になる。そして、人材に投じる資金は「コスト」と捉えられることとなる。

しかし、時代が変わり、経営環境も人々の価値観も変わる中で、日本企業の人材施策が抱える問題が露呈してきた。*1
そうした問題意識から、経済産業省は「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」を開催した。その報告書として2020年に公表されたのが「人材版伊藤レポート」である。

人材は、教育や研修、日々の業務などを通じて、成長し価値創造の担い手となる。また、企業は状況に応じて、必要な人材を外部から登用・確保することも当然ありうる。*2
こうした側面から、人材を「人的資本(Human Capital)」として捉える必要があると、同レポートは説く。

こうした価値観では、マネジメントの方向性は「管理」から人材の成長を通じた「価値創造」へと変わり、人材に投じる資金は価値創造に向けた「投資」となる。

下の図1は、同レポートで示された人材戦略変革の方向性である。
左の従来の姿から、右のあるべき姿へのギャップを測り、埋めていくことが望まれる。

図1 「人材版伊藤レポート」で示された変革の方向性
出所)経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~」(2020年9月)p.6 https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kigyo_kachi_kojo/pdf/20200930_1.pdf

「人材版伊藤レポート」はこのようなパラダイムシフト(価値観の劇的変化)を迫るための問題提起を行った。しかし、問題を受け止めただけでは、人材価値も企業価値も高まらない。*1

そこで、経産省は新たな検討会を設置し、持続的な企業価値の向上に向けて、経営戦略と連動した人材戦略をどう実践するか、議論を重ねた。
2022年5月に公表されたその報告書が、冒頭でふれた通称「人材版伊藤レポート2.0」である。

同レポートには、人的資本経営を具体化し実践に移していくための有益なアイディアが記載されている。

人的資本への投資

人的資本、つまり従業員への投資は、競合他社との競争優位性を確保するための中核要素であり、成長や企業価値向上に直結する戦略投資である―そうした認識が、企業だけでなく、投資家の間でも広がりつつある。*3

投資家は、人的資本への戦略的な投資が、社会のサステナビリティと企業の成長・収益力の両立を図る「サステナビリティ経営」の観点からも重要な要素と捉えている。
そのため、多くの投資家が、将来の成長・収益力を確保するために企業がどのような人材戦略を実践しているかに注目している。

したがって、現在は、企業・経営者が自社の人的資本への投資や人材戦略のあり方を、投資家や資本市場に対して分かりやすく伝えていくことが不可欠な時代である。

そうした状況を背景として、2023年、有価証券報告書に人的資本に関する情報を開示することが義務化された。*4
今や人的資本経営は企業の株価にも影響を与える問題なのだ。

人的資本経営とオフィス

「人材版伊藤レポート2.0」は、人的資本経営の経営戦略実現のためには、社員が能力を十分に発揮する必要があると指摘している。*1
そのためには、社員がやりがいや働きがいを感じ、主体的に業務に取り組むことができる環境を整えることが重要である。

人的投資としての労働環境整備

こうした人的資本経営の観点から、従業員のニーズを踏まえたオフィス環境の改善にも注目が集まっている。*5

日本政策投資銀行が2024年に大企業を対象に行った調査によると、人的投資の内容として「生産性向上のための労働環境整備」が第5位に挙がっている(図2)。

図2 人的投資の内容
出所)株式会社日本政策投資銀行・株式会社価値総合研究所「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2024」p.9 https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/292236e8d91661b6fa6d514a84769288_1.pd

人的資本経営を実践するためのプラットフォーム

ニッセイ基礎研究所の社会研究部上席研究員の百嶋徹氏は、「メインオフィスは、人的資本経営を実践するためのプラットフォーム(基盤)の役割を果たすべきである」と説いている。*5

「人材版伊藤レポート2.0」は、社員のウェルビーイングは、心身を健康にするだけでなく、熱意や活力をもって働くことを実現し、エンゲージメントの向上につながることから、人的資本経営の視点として重要であると指摘している。*1

百嶋氏は、エンゲージメント要素は、ウェルビーイング要素と人的資本経営を媒介する「触媒」のような存在であると考えている。
そこで、メインオフィスを人的資本経営実践のプラットフォームにするために、「フルパッケージの機能」を装備したり、「ウェルネスオフィス」化したりすることで、従業員のウェルビーイングを高め、エンゲージメントの向上を図ることを提唱している。

「フルパッケージの機能」とは、多様なニーズに応えるために、できるだけ多くの利用シーンを想定した機能であり、「ウェルネスオフィス」とは、建物利用者の健康性、快適性の維持・増進を支援するオフィス空間を指す。

ウェルネスオフィスは、社員が健康的に生き生きと働き、生産性が向上して、会社が成長することを実現する。そのために、家具だけでなく、内装、グリーン、アート、香り、音響などを使って、ウェルビーイングな空間を総合的に創りだす。
また、リアルとバーチャルのコミュニケーションの垣根をテクノロジーで解消しようとする取り組みもある。*6

オフィス移転を機に、健康を維持するための仕掛けとして、フロアにウォ―キングコースを備え、チームで歩いてポイントをためるとランチ券がもらえるようにするなど、楽しみながら歩けるような工夫を取り入れたオフィスもある。*7

同オフィスでは、リラックスしながら業務や雑談をするための空間「コミュニケーションエリア」を5か所設けている。たとえば、図書館のような「ライブラリー」やキャンプ場をイメージした「ヒルサイド」など、場所ごとにテーマが違うため、従来のオフィスの風景とは趣が異なる。
こうしたエリアがあるため、たまたま通りかかった人たちが自然発生的に打ち合わせを始めることもあり、職員からは「気軽に打ち合わせができ、内容も前向きになった」という声が上がっているという。

意識調査にみられるオフィス変更のポテンシャル

現在は、サステナビリティ対応や人的投資への注目に加え、インフレや人手不足など、オフィス市場を取り巻く社会潮流が変化している。*8
それに伴い、テナントのオフィスビルへのニーズにも急速な変化がみられる。

こうした状況の下、日本政策投資銀行と価値総合研究所は毎年、「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査」を行っている。

調査の目的

同調査の目的は、テナントサイド、オーナーサイド、投融資サイドの各ステークホルダーのオフィスビルに対する認識や、将来想定される変化を正確に把握し、継続的に情報発信すること。また、それらを通して、今後必要とされるオフィスビルのあり方を展望すること。さらには、テナントの意識を醸成し、デベロッパーなどに今後のあるべき方向性・戦略を提示することである。

2024年に実施した同調査では、従業員数が前年比1%以上増加した企業を「成長企業」と定義し、そのオフィスニーズに焦点を当てた。
その結果をみていこう。

人的投資としてのオフィス変更

人的投資の一環として、労働環境(オフィス)整備の重要性が高まっている。

レイアウト変更・縮小・拡大・移転などのオフィス変更を実施・検討している成長企業の54.0%が「魅力的なオフィスの整備(利便性や快適性向上に資する設備等)」を、46%が「生産性向上に資するオフィス整備(コミュニケーション空間・リフレッシュスペースの充実等)」を変更理由として挙げている。

図3 オフィス変更を実施・検討している企業の変更理由
出所)株式会社日本政策投資銀行・株式会社価値総合研究所「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2024」p.9 https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/292236e8d91661b6fa6d514a84769288_1.pdf

オフィスのウェルビーイング対応

次に、オフィスビルのウェルビーイング対応に対して、賃料上昇を許容するテナントはどの程度、あるのだろうか。
従業員が増加している成長企業は、従業員数が横ばい、あるいは減少している企業に比べて賃料負担の許容度が高い傾向があり、その割合は54.1%に上っている(図4)。

図4 テナントのウェルビーイング対応に関する賃料負担許容度
出所)株式会社日本政策投資銀行・株式会社価値総合研究所「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2024」p.27 https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/292236e8d91661b6fa6d514a84769288_1.pdf

ウェルビーイング対応が収益性に与える影響も、一部、顕在化している。
まず、「現在の収益性」に関しては、オーナー・投融資サイドの約2割が収益性の維持・向上に影響していると回答している。

「将来の収益性」への期待はさらに高く、デベロッパー等・投融資サイドの約6割、AM(アセットマネジメント)の73.8%が、収益性の維持・向上を見込んでいる(図5)。

図5 ウェルビーイング対応の将来の収益性期待
出所)株式会社日本政策投資銀行・株式会社価値総合研究所「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2024」p.28
https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/292236e8d91661b6fa6d514a84769288_1.pdf

人的投資の一環として、人材のウェルビーイング向上のためにオフィスに投資することが、企業価値を高める時代だといっていいだろう。

おわりに

人的資本経営は、企業の最も重要な資産である人材への投資を通じて、企業の成長と持続可能性を高める経営戦略である。

オフィスへの投資は、従業員のウェルビーイングを高め、エンゲージメントを向上させることで、人的資本経営に大きく貢献する。
オフィスの改善や移転は、従業員の心身に働きかけ、組織全体の活性化を促す、戦略的な投資なのである。

この記事を書いた人

横内美保子

博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。
X:よこうちみほこFacebook:よこうちみほこ


【資料一覧】

*1 出所)経済産業省「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 ~ 人材版伊藤レポート2.0」(2022年5月)p.1, 3, 65, 70
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf

*2 出所)経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レ
ポート~(概要)」(2020年9月)p.2, 6, 9
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kigyo_kachi_kojo/pdf/20200930_1.pdf

*3 出所)内閣官房「人的資本可視化指針」(2022年8月) p.1(6枚目のスライド)
https://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/20220830shiryou1.pdf

*4 出所) 金融庁「令和5年度有価証券報告書レビューの審査結果及び審査結果を踏まえた留意すべき事項等」(2024年3月29日)p.5
https://www.fsa.go.jp/news/r5/sonota/20240329-9/01.pdf

*5 出所)ニッセイ基礎研究所 社会研究部 上席研究員 百嶋 徹「人的資本経営の実践に資するオフィス戦略の在り方-メインオフィスは人的資本経営実践のためのプラットフォームに」
p.4 https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=78086?pno=4&site=nli
p.5 https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=78086?pno=5&site=nli

*6 出所)日経XTECH「3人のプロフェッショナルが議論 ウェルビーイングな真のコミュニケーション環境をオフィスから変えるためには」
https://special.nikkeibp.co.jp/atclh/NXT/24/logicool1218/

*7 出所)朝日新聞SDGs ACTION!「フロアにウォーキングコース ウェルビーイング向上へ オフィスを訪ねて【1】住友生命」(最終更新:2023年4月24日)
https://www.asahi.com/sdgs/article/14878661

*8 出所)株式会社日本政策投資銀行・株式会社価値総合研究所「オフィスビルに対するステークホルダーの意識調査2024」(2024年11月)p.3, 5, 9, 27, 28
https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/292236e8d91661b6fa6d514a84769288_1.pdf


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そしきLab編集部

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