東京メトロが「MSH日本橋箱崎ビル」へ本社移転 なぜ箱崎?狙いと「いずれ上野に戻る」移転で予想される効果は?

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東京メトロの本社移転が、2026年8月31日に完了する。移転先は「MSH日本橋箱崎ビル」の11〜13階。住所は東京都中央区日本橋箱崎町19-21、最寄りは自社の半蔵門線水天宮前駅から徒歩3分だ。

同社は移転理由として、現本社の老朽化と、社員エンゲージメント向上を含む職場環境の課題を挙げている。

ただし、他社の本社移転と決定的に違う点が1つある。東京メトロはこれを「一時的な移転」と明言し、いずれ上野へ戻ると公表している。

いつか出ていくと分かっている床に、金色のアーチを組み、9路線の案内サインを並べ、緑を入れる。この移転の狙いと効果を読み解いていく。

日本橋箱崎 どんな街?

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東京駅から東へ約2km、隅田川の右岸が日本橋箱崎町だ。街の顔は東京シティエアターミナル(T-CAT)。成田・羽田の両空港とリムジンバスで結ばれ、地下で水天宮前駅につながり、頭上には箱崎ジャンクションが通る。車でも空港でも出ていきやすい街だ。一方で日常の生活圏は人形町で、徒歩圏の甘酒横丁には老舗の親子丼やすき焼き、鯛焼きの店が並ぶ。

  • 最寄り駅:半蔵門線 水天宮前駅から徒歩3分、日比谷線・東西線 茅場町駅から徒歩7分、日比谷線・都営浅草線 人形町駅から徒歩12分
  • 利用路線:半蔵門線・日比谷線・東西線・都営浅草線の4路線が徒歩圏

徒歩圏の4路線のうち3路線が自社線である。9,532人の社員の多くは駅と現場にいて、本社との往復が日常的に発生する。自社線で着ける場所を選んだのは、通勤費ではなく現場と本社の距離の問題だ。

上野から水天宮前へ、通勤はどう変わるのか

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とはいえ、万人に便利になる移転ではない。現本社の立地が良すぎたのだ。

現本社の住所は台東区東上野3-19-6。東京メトロ上野駅の所在地とまったく同じで、建通新聞は「銀座線・日比谷線の上野駅に直結」と書いている。上野は鉄道会社3社が集まるターミナルで、JR上野駅には山手線・京浜東北線をはじめ在来線各線と新幹線が乗り入れ、京成上野駅からはスカイライナーが出る。対して水天宮前は、半蔵門線の単独駅である。

  • 上野(銀座線・日比谷線):1日平均191,804人・第10位(2025年度)
  • 水天宮前(半蔵門線):65,487人・第59位

もっとも、上野・人形町・茅場町をすべて通る日比谷線の利用者は、乗り換えなしのまま茅場町か人形町から数分歩けば着く。

変わるのはそれ以外だ。銀座線・日比谷線の利用者にとって現本社は駅を出たら会社だったが、これからは駅から数分歩く。JRや京成で来ていた社員は乗り換えが1回加わる。

移転は上野の再開発という動かせない事情から出た経営判断だ。それでも毎朝の30分が変わる側からは、「なぜ水天宮前なのか」という声は出るだろう。水天宮前が悪いのではなく、比較対象が上野だというだけの理由で。

IBMが抜けたあとの、41,000坪

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MSH日本橋箱崎ビルは1989年3月竣工。設計は竹中工務店で、1990年に第31回BCS賞を受賞した。三井倉庫の旧本店跡地の再開発で、いまも三井倉庫ホールディングスが所有する

1989年の開設時から箱崎事業所として使ってきたのが日本アイ・ビー・エムで、2009年10月からは本社を置いた。その日本IBMが2024年1月30日に虎ノ門ヒルズ ステーションタワーへ本社を移した

  • 建物:地上25階・地下3階、延床面積135,887㎡(41,105.83坪)
  • 基準階賃貸面積:3,400㎡(1,029坪)
  • 所有者:三井倉庫ホールディングス
  • 東京メトロの入居:3フロアで受付は1階。執務スペースは約10,310㎡で、延床約19,400㎡の現本社より執務面積は広い
  • 1階にタリーズコーヒーが入る

一社の大箱が空いたあと、ビルは複数テナント向けに作り替えられた。日建設計コンストラクション・マネジメントによれば、約15,000坪の改修を1年で行い、2024年12月に竣工。設計は梓設計、施工は竹中工務店ほか。日本IBMが抜けてから東京メトロが入るまでの2年半は、都心の大型ビルが1社仕様からマルチテナント仕様へ切り替わるのに要した時間だ。

8月10日、24日、31日 ── 3回に分けて動く本社

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7月9日に公表された移転日程は、3週に分かれている。

  • 2026年8月10日:経営企画本部、車両部、総務部、人事部、資産管理部
  • 2026年8月24日:営業部、運転部、改良建設部、電気部、都市・生活創造本部、広報部、監査室
  • 2026年8月31日:役員、秘書室、監査役室、国際ビジネス部、鉄道統括部、安全・技術部、CX・マーケティング部、工務部、財務部

うちを先に、あの部署は後回し、という社内の綱引きは、移転支援の現場ではあまり起きない。分けるのは、この人数が1つの週末では動かないからだ。大規模移転では、フロアごとの部署配置を決め、プロジェクトマネジメント会社が移転順の計画を引き、各部署と調整する。優先されるのは業務を止めないこと、ほぼそれだけである。

日程を決めるのは、1日に投入できる作業員と車両の上限だ。しかも引っ越し作業員と施工員は、別の職種である。壁にビスを打つ、収納庫を解体して運び耐震固定し直す——これが施工員の仕事で、資材と労務の逼迫が続く建設業界では、確保が難しいのはむしろこちらだ。

3週の日程表は、社内調整の結果というより、動かせる手の数から逆算した答えだろう。役員・秘書室と、安全・技術部・鉄道統括部という輸送の根幹の部署がそろって最終週に置かれているのも、業務を止めない原則どおりの並びだ。

9つのアーチ ── 「platform of Metro」が作ろうとしているもの

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公開されたイメージパースから、東京メトロが何を作ろうとしているのかがはっきり分かる。デザインコンセプトは「platform of Metro」。プラットフォームには駅のホームと土台の両方の意味がかかる。なお東京メトロは、いずれも現時点のイメージで今後変更の可能性があると注記する。

来客エリアでは、受付の上に金色のアーチ状フレームを連ねたヴォールト天井が架かる。地下鉄のトンネル断面だ。「←Waiting」の吊り下げサインとアナログの丸時計が並び、打放しコンクリート調の壁ではハート型の「M」マークが淡く光る。

その奥に、アーチ型の打ち合わせブースが並ぶ。各アーチの上には路線記号のサインが突き出す。G(銀座線)、M(丸ノ内線)、H(日比谷線)、T(東西線)、C(千代田線)、Y(有楽町線)、Z(半蔵門線)、N(南北線)、F(副都心線)——9路線ぶんが、それぞれの路線カラーで揃う。各ブースの座面と背もたれは、その路線カラーに合わせたモケット調の織り柄だ。モケットは電車の座席生地である。打ち合わせブースを、9本の路線に見立てている。

執務エリアは、対照的に柔らかい。

  • 中央に木製のハイカウンターとハイスツール。背後に植栽ボックスで囲われた中木
  • 木目フローリングとカーペットタイルの張り分けでゾーニング
  • ベンチ型デスクのエリアは、天板が植栽トレイになった収納キャビネットで区切る

リリースの「緑が多く」は飾りではなく、間仕切りとしての緑だ。収納の天板をプランターにしてエリアを分けると、パネルで囲うより圧迫感が出ず、人が動き回るABWのフロアと相性がいい。

なお、内装設計はオカムラと建通新聞が報じている。東京メトロ公式にもオカムラの実績ページにも記載はなく、情報源は現時点でこの1紙である。

グループアドレスという選択

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リリースには、他のメディアが取り上げていない表が1枚ある。「Context(コンセプトに込めた背景)」と「Benefit(想定される効果)」を4項目で対にしたものだ。

  • 01. 安心でオープンな環境を ── グループアドレスによる自由に意見を言い合える環境 → 自由な発想と挑戦マインド
  • 02. 多彩な選択肢を ── 目的に合わせて選べる執務空間のバリエーションとしてABWを導入 → 自律心の向上
  • 03. みんなで集まるきっかけを ── 垣根をつくらない空間づくりとコラボレーションを促すエリアの配置 → 協働の活性化
  • 04. 東京メトロらしさを ── 東京メトロらしさを共有でき、自社を誇れる空間づくり → 愛着とエンゲージメント向上

01の「グループアドレス」が、この移転の性格をよく表す。完全なフリーアドレスではなく、部やチームごとにエリアを決め、その中で自由に座る方式だ。

全社フリーアドレスなら部署を超えた偶然の接触は増えるが、誰がどこにいるか分からない状態は、現場と本社のやりとりが常時走る会社では負荷になる。小坂社長が統合報告書で「現場と本社でフィールドが異なり、円滑なコミュニケーションなくして業務が進まない」と書いているのは、この点だ。

グループアドレスはその真ん中を取る。席は固定しないが、居場所は分かる。部署の垣根を越える役割はカフェエリアと集中スペースとアーチのブースに持たせる。堅実な設計だと思う。

東京メトロはいま、何を目指しているのか

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東京メトロは2024年10月に株式を上場し、ミッションを「東京を走らせる力」と定めた。現在は2025〜2027中期経営計画「Run! ~次代を翔けろ~」の期間中だ。

  • 設立:2004年4月1日/資本金581億円/従業員9,532人(2026年3月31日時点)
  • 社長:小坂彰洋氏(2025年6月就任)。1986年に営団地下鉄へ土木技術者として入団、16年間新線建設に従事

移転理由に掲げた「社員エンゲージメント向上」の指標はどうか。統合報告書2025に、エンゲージメントスコアの数値は公表されていない。あるのは「対前年度よりもエンゲージメントが向上する結果となった」の一文だけだ。数値のある人的資本指標は、2023年度から2024年度にこう動いた。

  • 3年離職率:14.9% → 9.3%(▲5.6pt)
  • 女性管理職比率:3.0% → 3.3%
  • 1人当たり年間平均研修受講時間:75.6時間 → 74.9時間

3年離職率の5.6ポイント改善が突出している。若手の定着は1年で動く指標ではないので、数年前の施策が効き始めたのだろう。研修時間はほぼ横ばいで、人が辞めなくなった段階まで来て、次に何を動かすかという局面にいる。

Openworkの東京地下鉄のページは回答者362人・クチコミ1,678件、総合スコア3.00。

  • 高い項目:法令順守意識 4.3、社員の相互尊重 3.7
  • 低い項目:社員の士気 2.4、20代成長環境 2.2、風通しの良さ 2.8

残業24.1時間/月は統合報告書の平均超過労働時間23.9時間/月とほぼ一致し、書き込みはある程度の実像とみてよい。移転リリースの言葉は低スコアの項目とほぼ一対一で対応する——「エンゲージメント」に士気2.4、「横断連携」に風通し2.8、「自由な発想で挑戦」に20代成長環境2.2。強みが社長の言う「家族的な会社」の側に、課題が挑戦の側に出ており、Context/Benefitの4項目はこの分布を見たうえで置かれたと読める。

いずれ出ていく床に、なぜここまで作るのか

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東京メトロは移転リリースの副題に「まちづくりの進展状況等を見極めつつ、将来上野に再移転」と明記し、本文でも「今回は一時的な移転」と書いている。にもかかわらず、9路線のアーチを組み、路線カラーのモケットを張り、緑を間仕切りにして、ABWとグループアドレスを入れる。仮住まいとしては明らかに厚い作り込みだ。理由は2つあると考える。

1つは、滞在期間の長さだ。戻る先は中期経営計画に記載された「(仮称)東上野四丁目A-1地区 第一種市街地再開発事業」で、完成予定は2030年代半ば。箱崎での滞在は8年から10年に届く。新卒が中堅になる長さで、その間に上野の本設計を描くための運用データが手に入る。ABWは実際に使われたか。集中スペースは足りたか。グループアドレスの粒度は適切だったか。一時移転だから最小限にする、ではなく、一時移転だから作り込んで試す。

もう1つは、通勤だ。駅を出たら会社という立地から水天宮前へ移る以上、多くの社員にとって毎朝の条件は落ちる。その分を埋めるのがオフィスの中身だ。前より明らかに良い、人に自慢できる空間があれば、乗り換え1回は引き受けられる(かもしれない)。Context/Benefitの04が「自社を誇れる空間づくり」と書くとき、誇る主語は社外より先に社員だろう。鉄道会社の社員にとって、自社の路線が意匠になったオフィスは、ここが自分の会社だと分かる場所だ。立地で失うものを、空間で取り返しにいく。

1927年、2024年10月、そして2030年代半ば

  • 1927年12月30日:銀座線 上野〜浅草間が開通(2027年に100周年)
  • 1989年3月:三井倉庫箱崎ビル(現MSH日本橋箱崎ビル)竣工
  • 2024年:1月に日本IBMが虎ノ門ヒルズへ本社移転、10月に東京メトロが株式上場
  • 2026年8月:10日・24日・31日の3週に分けて箱崎へ移転
  • 2030年代半ば:(仮称)東上野四丁目A-1地区が完成予定、上野へ再移転

この移転が起きているのは、床がない市場だ。三鬼商事の2026年6月時点の調査では、東京ビジネス地区(都心5区)の平均空室率は1.99%と、2020年6月以来の1%台に入った。平均賃料は坪22,993円で、前年同月比10.14%の上昇。空室が1%台まで締まったうえで賃料が年1割上がる市場で、3フロアまとまった床を8年以上押さえる。その判断の重さが、作り込みの厚さの裏側にある。

まとめ

上野から日本橋箱崎へ、鉄道会社が本社を動かす。ただし出ていくのは一度きりで、いずれ同じ街へ戻ってくる。

企業がその場所を選ぶ理由は、機能的な側面だけではない。「この場所にいる意味」を、社員と社会の両方に示す行為でもある。東京メトロの場合、それは自社の路線を空間そのものに埋め込む形で示された。

駅を出たら会社、という立地は手放す。代わりに、9路線のアーチと路線カラーの椅子がある床を8年以上使う。仮住まいを最小限で済ませるか、実験場として使い切るか。東京メトロは後者を選んだ。上野に戻るときの図面は、この床で起きたことが決める。

この記事を書いた人

吉田 学

オフィスづくりの現場に12年。起業直後のマンションの一室から4,000坪超の本社移転まで、100件を超えるプロジェクトで経営者や総務・人事の方々と対話してきました。その経験を物差しに、公開情報から企業の「場づくり」の意図を読み解きます。

参考資料

東京メトロ

MSH日本橋箱崎ビル/街

報道

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