
「やりがい搾取」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
この言葉の定義にはさまざまなものがありますが、もともとは「精神的報酬ばかり強調して⼗分な待遇を与えない賃労働」を指す言葉でした。
実はこの問題は、一部の悪質な企業だけに起きるものではありません。
むしろ、「人を大切にしたい」「成長を応援したい」と考える経営者や、社員同士の関係が良い職場ほど起こりやすい側面があるのです。
社員を大事にしている会社なのに、なぜ社員が疲弊してしまうのでしょうか。
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「やりがい」があるのに苦しくなるのはなぜか
本来、仕事の「やりがい」は悪いものではありません。
自分の仕事が誰かの役に立っていると感じられたり、成長を実感できたりすることは、働くモチベーションを高めます。
実際、「働きがい」を感じている人、つまり、仕事に意味や価値を見いだしている人ほど、仕事の面白さを見出したり、職場での取り組みに協力的であることが指摘されています。
そして、そうした働きがいは、企業にも多くのメリットをもたらします(図1)。*1

出所)厚生労働省「働きがいのある職場づくりのための支援ハンドブック」p.3
https://work-holiday.mhlw.go.jp/work-engagement/pdf/02.pdf
ところが、その「やりがい」が行き過ぎると問題が生じます。
たとえば、
「みんなのためだから、がんばろう」
「この仕事は社会的意義が大きい」
「成長の機会だから多少の負担は仕方ない」
と思い、献身的な取り組みが繰り返されるうちに、本来であれば適切に評価・補償されるべき仕事まで、本人の善意や使命感に委ねられてしまうことがあります。
こうした状態が「やりがい搾取」と呼ばれるものです。
アンペイドワークの伝統
上述のように、もともとこの言葉は、「精神的な報酬ばかりを強調し、十分な対価を支払わない賃労働」を指す概念として使われていました。*2
しかし近年では、賃労働だけでなく、家事労働や地域活動、ボランティア活動などにも当てはまる問題として捉えられています。
日本ではこれまで、さまざまな場面でアンペイドワーク(無償労働)が社会を支えてきました。
家庭では家事や育児、地域では自治会やボランティア活動などが公的支出を補う役割を担い、政府からは「含み資産」とみなされてきました。
また企業でも、サービス残業だけでなく、QCサークルや社内運動会など、業務時間外の活動に自発的に参加することが期待され、それが日本企業の強さを支える要因と考えられていた時代がありました。
こうした無償の貢献が受け入れられてきた背景には、企業や家族、地域社会との関係が長く続くという前提がありました。
たとえば終身雇用が一般的だった時代には、一時的に無償の負担があったとしても、長期的にみれば雇用の安定や年功賃金といった形で見返りが得られるという「暗黙の合意」が成立していました。
こうした関係を「見返り型滅私奉公」と呼ぶ研究者もいます。
また、地域に根ざして暮らす人にとっては、まちづくりへの参加も「搾取」ではなく、自分たちの暮らしへの投資として受け止められていました。
しかし、社会の流動化が進み、同じ会社や地域で長く暮らすことが当たり前ではなくなると、その前提は大きく変化します。
総務省「労働力調査」によると、2026年1月から3月までの転職者総数は312万人。
全体の転職者率は4.6%ですが、15~24歳は8.5%、25~34歳は7.2%と、おおむね年齢階級が若い方が転職者比率が高くなっています。*3
こうした状況から、将来の見返りを期待しにくくなった結果、目の前の負担と対価を重視するようになり、これまで当然とされてきた無償の貢献にも疑問を抱く人が増えてきました。*2
アンペイドワークに対する許容範囲が変わったことで、2010年代以降、「やりがい搾取」という考え方が広く共感を集めるようになったと考えられます。
「社員思いの会社」ほど起きやすい理由
「やりがい搾取」というと、従業員を粗末に扱うような企業をイメージするかもしれません。
しかし実際には、経営者や上司に悪意がないケースも少なくありません。
むしろ、社会貢献に対する意識が高く、社員の成長を本気で願っているリーダーがいるといった企業ほど要注意です。
従業員と組織との関係に着目した概念に、「従業員エンゲージメント」があります。*2
「従業員エンゲージメント」は、組織の理念や目標に共感し、その実現に貢献したいという意欲を意味します。
従業員エンゲージメントが高いと、従業員は組織の目指す方向に向かって、自発的に活動しようとします。
「やりがい搾取」は、このように、組織への愛着が強く、社員同士の人間関係が良いといった職場で、知らず知らずのうちに起きていることもあります。
なぜなら、信頼関係がある職場では、人は頼まれごとを断りにくくなるだけでなく、周りから期待されていることを察すると、進んでそれに対応しようとするからです。
「会社のためだから」「みんなも頑張っているから」「期待に応えたいから」などという気持ちから、業務時間外の対応や過剰な責任をつい引き受けてしまった―そんな経験をなさった方も多いのではないでしょうか。
その結果、本人も周囲も負担の大きさに気づかないまま、長時間労働や燃え尽き状態に陥ってしまうこともあります。
「ワークエンゲージメント」の落とし穴
一方、「ワークエンゲージメント」とは、従業員と仕事との関係に着目した概念です。*2
仕事に「やりがい」や誇りを感じ、熱意を持って取り組み、その過程で活力を得ている状態。
その構成要素は、「活力」「熱意」「没頭」の3つ。
ワークエンゲージメントは仕事そのものに楽しさや意義を感じているため、自発的かつ前向きに仕事に取り組み、自分の意志で仕事に多くのエネルギーを使用する傾向があります。
そのため、継続的に高いパフォーマンスを発揮しやすいという特徴がみられます。
ただし、このワークエンゲージメントは、なかなかに曲者です。
筆者は日本語教育に携わっていますが、この業界では、非常勤日本語教師のアンペイドワークがしばしば問題になります。
好きなことを仕事にすると、人は必ずしも損得勘定だけでは動きません。
学習者の成長がうれしい。もっと良い授業をしたい。周囲の期待に応えたい―そんな思いから、授業準備や添削、学習者への対応に、際限なく時間を費やしてしまうのです。
筆者自身、何十年もの間、そのような働き方を繰り返してきました。
教育や支援の仕事は、人の成長や変化に直接関われる仕事です。だからこそ大きな「やりがい」がある。しかし、その「やりがい」は、ときに私たち自身を縛る要因にもなります。
「もっと良い仕事をして貢献したい」という思いが原動力となり、時間や労力を惜しみなく差し出してしまう。
そのうち、どこまでが仕事で、どこからが自分自身の満足や学びのためなのか、その境界が曖昧になっていきます。
特に駆け出しの頃は、授業準備そのものが自分自身の勉強でもあります。
そのため、「これは将来のために必要な投資だ」と考え、さらに多くの時間を費やしてしまいがちです。
実際、筆者も、その過程で得た知識や経験は数え切れません。
だからこそ、そうした時間を一概に無駄だったとは言えないのです。
しかし、その「成長や貢献のための努力・献身」と、本来報酬が支払われるべき労働との境界が曖昧になったときが危ない。
「やりがい」は本人の成長や貢献を支える力である一方で、無意識のうちにアンペイドワークを正当化してしまう要因にもなり得るからです。
問題は「やりがい」ではない
「やりがい搾取」の本質は、「やりがい」そのものにあるわけではありません。
問題なのは、仕事に求められる責任や成果と、それに対する報酬・権限・評価のバランスが崩れてしまうことです。
たとえば、新しいプロジェクトを任されたり、後輩指導を担ったりすることは、本人の成長にもつながる貴重な経験です。
しかし、その分の業務量が増えているにもかかわらず、給与が変わらず、権限も与えられず、評価にも反映されないという状態が続くのは、どうでしょうか。
最近では「静かな昇進(Quiet Promotion)」という言葉も注目されています。*4
「昇進や昇給を伴わずに、従業員に新たな業務やより大きな責任範囲が与えられる状況」のことです。
役職は与えられないのに責任だけが増えたり、管理職相当の仕事を任されたりする。
本人は断りづらく、会社も悪意なく期待しているため、問題が表面化しにくいという特徴があります。
年齢的には30代が多く、自分でも気づかないうちに過剰労働に陥りがちです。
経営者が気をつけたいポイント
社員の「やりがい」を高めることは、組織運営において重要な取り組みです。
しかし、「やりがいがあるから頑張れるはずだ」と考え始めたとき、「やりがい搾取」への入り口が現れます。
社員の善意や使命感に依存するのではなく、それを支える制度や待遇を整えることが、持続可能な組織づくりにつながるはずです。
従業員エンゲージメントが高い人ほど、期待に応えようと無理を重ねがちです。
社員の思いや成長意欲を守りながら、持続的に働ける組織づくりをするためには、次のような取り組みが欠かせません。
- 期待する役割と責任を明確にし、報酬や権限とのバランスを取る
- 業務量の増加を定期的に確認し、負担が偏らないようにする
- 成果や貢献を適切に評価し、処遇に反映する
- 「頑張り過ぎていないか」を上司が日頃から確認し、相談しやすい職場環境をつくる
「やりがい」は、本来、人が前向きに働くための大切な原動力です。
しかし、それが無償の努力や過度な献身を前提としたものになってしまったら、やがて人も組織も疲弊してしまいます。
真に「社員思いの会社」であるために必要なのは、社員の善意に頼ることではなく、その善意が正当に報われる仕組みを整えることです。
社員が意欲を保ちながら安心して働き続けられる組織づくりには、「やりがい」と適正な待遇を両立させることが欠かせません。

この記事を書いた人
資料一覧
*1
出所)厚生労働省「働きがいのある職場づくりのための支援ハンドブック」p.3, 4
https://work-holiday.mhlw.go.jp/work-engagement/pdf/02.pdf
*2
出所)仁平典宏「冷笑する社会とボランティア―「やりがい搾取」批判を越えて」p.4
https://nippon-donation.org/wp-content/uploads/2022/09/c03bd27aa2f22aebdc1b1546b0493a97.pdf
*3
出所)e-Stat 「労働力調査>2026年1~3月期>1-2 年齢階層別転職者数及び転職者比率」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200531&tstat=000001226583&cycle=2&year=20260&month=11010300&tclass1=000001226833&tclass2=000001226861&result_back=1&tclass3val=0
*4
出所)日経ビジネス 河合薫「社員のやりがい搾取する「静かな昇進」 仕事と期待だけ増えジレンマ抱える」(2025年10月22日)
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00380/
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